ワークスタイル
サラリーマンから製炭者に転身、周囲から認められる製炭界の第一人者へ
今では製炭界の第一人者である森本さんも、30歳までは東京でサラリーマンをやっていた。
30歳を機に、ご両親の事やこの先の人生をどう暮らしていくかを考え、地元の室戸市に帰ってきた。
最初は、米を作り、牛を飼う合間に山に入り木を切りパルプを売っていた。
山で伐採する中に良質な備長炭の材料であるウバメガシがあり、当時室戸市に多くいた製炭業の諸先輩方から「パルプにするにはもったいない」とアドバイスをもらい、これが製炭業を行うきっかけとなった。
高度成長期や中国炭の影響で当時50~60件あった製炭者も一時1/3程度に減ったが、「少なくなったが需要がなくなるわけではない。何かできるはず!」と考えていた森本さん。
平成16年に中国炭の輸出禁止により炭は需要が一気に高まった後、森本さんは質の良い備長炭の販路を広げるため、サンプルを持ち、軽トラック1台で関東まで陸路で営業を行った。
その結果、「森本さんの作る備長炭を全て扱わせて欲しい」という炭問屋が現れ、炭窯づくりにも出資をもらい、そこから今の「炭の森生」の元となる炭窯を一つ、また一つと増やしていった。
伝統の技術を守りながら、宝の山を守り、地域の活性化につなげる。
環境に配慮した永続的な製炭業、若い人が入ってくるために省力窯の導入、機械化を進めている。
広葉樹は定期的に皆伐して、密度の濃い山にしたほうがいい。太りすぎない時(30-40年)に切ることで、環境保全にもつながる。
1窯で年間約1ha使う、30haあれば山を回していく事で持続可能な製炭業が営める。
今は、宝の山に対して人が少なすぎ、手入れできていない荒れた山では、土が流れてしまっている。
サクラ、クス、しい、など今までは半分以上捨てていた雑木を簡単に焼ける省力窯を開発した。値段は備長炭の半値、それでも省力化できれば儲かる。
機械化や省力化はこれから製炭業をやろうとしている方にとって、良いものになると思う。省力窯の完成はこれからだが、着実に進めていきたい。
こんな辛い仕事、人に勧めようと思わないが、製炭業をやりたくて習いにくる方には、自立させて一人前にしてあげたい。
森本さんの元を卒業し自立した製炭者は約30人ほどになる。
後継者育成を考え、室戸市の市長にかけあい平成23年より後継者育成のための制度を作り、木炭振興会の会員で研修生を受け入れた。
室戸市だけでなく、遠く大月町でも若い方への説明会を開き多くの製炭者を輩出している。
現在は、研修制度を利用した移住者の受入、「炭の森生」独自の雇用も行っている。
また、備長炭を元にした新たな商品開発の研究を大学と行っている。
「体が動くかぎり、炭にかかわりたい。
3K(キツイ、汚い、危険)を軽減できて、収入も上げ、伝統を守り、環境を守れたら良い。
若い人のためにも省力化・機械化を進め、今後も後継者育成を続けていきたい」
炭の森生 森本生長
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